ゆっくり映画レビュー#220『名探偵コナン 100万ドルの五稜星


今更ながら感想を投稿。

今作はどれだけコナンを知っていても把握しきれない要素が多過ぎたと思います。
何よりオリジナルストーリーが例年以上に複雑すぎる。
これらと原作要素と合わせたら詰め込み過ぎとしか言いようがないです。

あとお宝探しに関係するキーアイテムの数が多すぎる。
暗号に刀に写真にその他諸々...
一回見ただけで理解できる内容とはとても思えません。
もう少し引き算する必要があったかと思います。

『キッドの真実』に関しては内容はともかく魅せ方が良くないと感じました。
まさか優作と優希子にただ説明させるとは。
『了解』並にスマートに決めて欲しかったです。

宣伝文句もよくない。
試写をしない割には『キッドの真実』と堂々と言ってしまっている。
長年追ってきたファンなら何が真実なのか察しがつく筈。
隠したいのか隠したくないのかよく分からない宣伝でした。

ただ良いなぁと思った部分もかなりあって、
ちゃんと推理映画になってること。アクション頼りになっていない。
キャラ描写が原作以上に魅力的。思わずクスッとなるようなキャラ同士の掛け合い。
多くのキャラを満遍なく活躍させてること。絶対に誰かに見せ場を設けてるのはさすがですね。

良い点と惜しい点が半々くらいの映画でした。
まぁやはり毎年これだけのクオリティを公開してるってのは素晴らしいですね。
来年もたのしみです。


新川優愛さんの2024年の1本は劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』

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名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)(2024)

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今回良くも悪くも肩肘張らず心の中でツッコミ入れながら笑って観れて面白かった。
コメディ要素多めでシリアス成分がだいぶ控えめ。
あまりにツッコミどころが多いので観終わった後、同行した夫と話が止まらなかった。最近ここまで遠慮なくツッコミ入れられる作品なかったので貴重。

個人的見どころ
・キッドと服部くんとコナンくんの男子高校生わちゃわちゃが可愛い。
・本作の聖さん、個人的に推し。袈裟姿が素敵。松岡さんボイスも良き。
・この映画においては完全な北海道観光大使と化している紅葉さん(可愛い)と執事の伊織(ポンコツ)。
・土方歳三つながりで今回の映画に呼ばれたと思われる沖田氏。
・終盤の大立ち回りシーンで連れてこられた土方歳三にゆかりのあると思われる謎の強そうな坊主(服部くんじゃないが「この人誰や!?」状態。ここ笑った)
※夫解説で後から他の青山作品のキャラクターであることを知る。今回まじっく快斗要素もあったしクロスオーバー要素多かったのかな。
・派手なシーンで流れる劇場版メインテーマは問答無用でテンション上がる
・気球を持ってくるために呼ばれた博士と少年探偵団(扱いが雑。笑)
・服部くんの告白を成功させるために暗躍する蘭姉ちゃん(でも手刀はだめ!)
・服部くんの告白、まさかの成功!!かと思いきやお約束の伝わってなかったよオチ

疲れた金曜日の夜、深く考えず気楽に見るのにおすすめ。ストーリーの大味感は否めないけど、面白かった。

※この記事は劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』のネタバレを含みます

函館への家族旅行の直後に鑑賞。現地ではコナンくんのスタンプラリーをやっていたり、コナンくんのラッピングバスやラッピング市電が走っていたり、デパートではコナンくんの特設会場があり、グッズ販売をやっていたりとそれなりに盛り上がっていた。

映画にはその函館の名所が全部出てきて(湯の川は無理やり感があったが)、あーあの場所、行ったなー、と旅行を振り返ることができた。

映画の方は展開が早くて退屈はしなかったけど、ストーリーは突っ込む気にもならないほど支離滅裂だった(リアリティを追求してはいけない映画とはいえ)。でもまぁ年中行事のお祭りみたいな映画だし、コナンくんのお約束の決めゼリフや必殺技は炸裂するし、メインキャラクター勢揃いだしで、コナンくんの映画を長く見ている人はハマるのだろう。何よりも映画のおかげで函館が子供も大人も楽しめる観光地になっていた。少々露骨だけど、マーケティング的には大成功な映画なのだと思った。


名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ) 感想・レビュー 9件

去年の黒鉄の魚影から映画館で見だしました。
もちろん前作も良かったのですが、今作はそれとほぼ互角の面白さでした!

高評価の点としては、
・ラブコメとギャグ、コメディのバランスの良さ
・キャラクターの立ち位置とそれぞれの活躍
・アクションシーンなどのカメラワーク
・原作にも劣らないミステリー要素
・現代と過去の絡み合わせ
・エンドロール後の衝撃の真実

ざっとこんな感じです。

ネットでもチラホラ「前作より作画が酷い」「派手さが少し欠けている」などの意見がありました。
自分的にはそこら辺はあまり気になりませんでしたが、唯一の懸念点として
爆発が少ない というところが気になりました。

実質の被害としては、
・武器商人ブライアン・D・カドクラにより普通車が1台爆破
・福城聖が操縦していたセスナが函館山の中腹に突っ込む
・セスナに積まれていた爆弾が海?に落ちる など

まあ爆発が少ない理由として、
・函館市から建造物や文化遺産(五稜郭)などの爆破の許可が下りなかった
・ここ数年で被害の規模が大きく、特に前回のキッド回の「紺青の拳」での被害規模が大きすぎて、今作では爆発は一旦箸休めに

今作は、歴代最高の興収157億円・動員1100万人突破や、史上初となるシリーズ累計観客動員数1億人突破などもあって、来年の次回作にも期待ですね!

ネタバレあり!名探偵コナン「100万ドルの五稜星」感想レビュー

今日は、劇場版名探偵コナン『100万ドルの五稜星』を見た感想と、筆者的見どころを記事にしてみました!

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ムビチケ頂いていたのを忘れていて今更の鑑賞。

冒頭数分見逃してしまったのもあって
最初なにがなんだか分からなかったけど、
とにかく全編イベントごとがおおく、あれよあれよと進んでいく感じ。
良く言えば飽きない、悪く言えば置いていかれる。

出てくるキャラクターも、
映画オリジナルからいつものメンツ、劇場版初登場キャラまでどんどん出てくるのでお祭りみたいだな〜と面白かったし、
終盤阿笠博士と少年探偵団が思い出したかのように出てきた時は思わず笑ってしまった笑

推理とアクションのバランスは良かった!
でも推理の中身は分かるようでピンとこない感じ…これは私が整理できずで悪いかも!
唯一の殺人事件の犯人や動機が雑過ぎたのは残念。
おまけみたいだった。

あくまで殺人事件よりお宝は一体なんだ?どこにある?がメインで進んでいくけど、
ずっと「うん十年前の武器なんて今の世にどれだけの価値があるんだよ」と思ってしまって、そんなものを武器商人が狙っているというのが意味不明だったし、
実際最後に暗号機だって分かっておじいさんガックリしてたけど、ちょっと想像したら分かるやろ、とは思ってしまった…。
おじいさんの息子もなんか雑な描かれ方で、これはあくまでコナンシリーズの人気キャラのわちゃわちゃを楽しむものだなぁと!

ただ、沖田総司が格好良過ぎて、それが知れたので個人的にラッキー!笑
もっと活躍してほしい。
というか沖田くんも顔似てるよね!?
まさか………あんたも血縁か!!

来年も映画楽しみにしてまーす!!

少し前の話になるのだが、私は今年のコナン映画である、「劇場版名探偵コナン100万ドルの五稜星」を見てきた。

コナン映画はこだま兼嗣監督の手掛けた作品は毎年楽しみに劇場へ足を運び、監督変更後からは惰性で見続け、漆黒の追跡者辺りでそれも苦痛になり、毛利小五郎の声優交代が決定打となり見ることもやめ、数年経て嗜好が変わりハロウィンの花嫁辺りから地上波で放送されているのを再び見始めました。
運良く劇場へ行くことが出来たのは紺青の拳(1回)、黒鉄の魚影(複数回)と言った感じですが、今年は本当に酷かったです。

作画崩壊、凄まじかったです。
紺青の拳もストーリー展開等いろいろツッコミ所があって複雑ではありましたがそこまで作画が崩れていたと言う印象だけはなく、なんとか耐え切って最後まで見ましたが、今年はこれ以上は時間の無駄だと、評判であるラスト数分まで耐え切れずに帰りました。
冒頭のいつもの紹介の時点で既にテーマが散文としてまとめ切れていないと感じ(桜に寄せるか北海道に寄せるか純和風でまとめるかごちゃごちゃな印象で目が痛いと思いました)、屋内でバイク音→ステンドグラスを破壊してキッドを追う服部の流れで頭が痛くなり、助けを求めたもののそれに気付かず立ち去る通行人→被害者の死亡と言う描写で無になりました。
今の流れ本当に必要だったか?と思う場面が多かった印象です。
被害者の死体、カットが移ると描写がかなり簡略化されており、そこの描写曖昧にしてどうするんだともう序盤で心が折れてました。
時間の都合でドルビーシネマを利用したのですが、そもそも設備を生かされるレベルの映像美や内容でもなかったです。
見せ場で原作者の原画を使用するとかではなく原作者の原画でその場その場をどうにか凌ごうとしているようにしか見えませんでした。
キャラクターに関しての描写も酷く、特に何の危険性も無い状況で屋内でバイク走らせる服部とか見たくなかったです。私怨でバイクを走らせてステンドグラス破壊しているのはただの危険人物でしかなかったです。
試合に参加しなかった服部に対して和葉が怒鳴り散らさなかったのも違和感でした。恋愛要素絡めたら和葉も別人になったし試合そっちのけでデートスポット調べてる服部も誰だこいつ状態になったように思います。

作画も酷ければキャラ崩壊も凄まじかった今作でした。
初登場時に声色一つで警察関係者を自ら呼び集め、コナンを圧倒したキッドはどこに消えてしまったのかと思うくらい程度の低いキッド擬だったように思います。
わざとらしい京都弁、どすえとか平気で言ってしまう怪盗キッドは見ていて正直苦痛でした。
誰に変装しているのか分からない、そこを解き明かし事件の真相へ迫るのが怪盗をメインに据えるとしても必要だったのではないでしょうか。
すぐにバレる変装をするキッド、そう言うノリで話を展開するのは一応名探偵コナンの映画なので、アプローチ方法を見直してくださいねと映画見に行って現実逃避してました。
中森警部が撃たれるシーンも、誰に撃たれたのか分からなければ危機的状況に感情移入も出来たのでしょうが、敵役の私が撃ちまーす!よし!出来ましたー!いま撃ったの私ですよー!と言わんばかりの犯人サイドの隠す気の無さに白けました。
これで内容がもう少し違っていたら耐え切れたのかもしれませんが、キッド回がどうのと言うより魅力的なキャラクターをこれだけ揃えておいて纏めきれなかった、捌き切れなかった所に問題があるかと思います。

舞台が北海道函館、五稜郭。
三つの勢力に分かれており、お宝として金塊の可能性を示唆するような描写。
そして土方歳三。
これだけ聞いたら思いつく方は必ず居ると思います。
そうですね、ゴールデンカムイですよね。
ただでさえまとめ切れていないのにそこをオマージュ()などちょっと考え直すことが出来なかったのですか?と聞きたくなるくらいでした。

敵サイド、2つにする意味ありましたか?
味方サイドにキッドが参入するのも何をしてんだと呆れたくらいです。
金塊も土方歳三も組み込むのがあまりにも幼稚だと思いました。
暗号も酷く、見ている側にこれはもしかして…?と考える余地も何も絶対に解かせる気のない謎でも何でも無いミステリ()でした。

作画とキャラ崩壊、穴だらけの内容。
この監督の作品はもう劇場で見ることはしないと思いました。
紺青の拳が刺さった方は楽しめるかと思いますが、黒鉄の魚影が最高だと思った方は一度考えた方がいいかと思います。

私は小学生の子が頑張って描いた方がまだ上手くそして微笑ましく思えるのに、金を払って見た映画でこんな手抜きな函館市街の景色を見させられるのかと、映像美も何もないなと時間の浪費とを天秤に掛けてそこで帰りました。
劇場のポテト美味しかったです。
椅子はフカフカで設備は良かったです。

【親子映画レビュー】親子で楽しめた!『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』 ..

はじめてに断っておきますがこのレビューは今作に対してのものでは無いです。

劇場版コナンといえば物理法則を無視した滅茶苦茶なアクションだとか脚本が滅茶苦茶だとか、そういったレビューを目にします。実際その通りですし私もそう思いますが、正直近年の劇場版コナン、というかコナンというコンテンツそのものが、そんなことはどうでも良くなるくらいに別の問題を抱えていると考えています。

1)主人公以外のキャラの消費
コナンの興行収入が爆上がりした20作目は組織が関わり、21作目は平次と和葉が関わり、22作目は安室と公安、23作目はキッドと京極と園子、24作目は赤井(と見せかけて世良)、25作目は安室と警察学校組、26作目は灰原と組織、そして今作はキッドと平次と和葉。

特定キャラ、それも劇場版オリジナルとかではなく原作にいるキャラを映画のキーパーソンにしている訳ですが、なぜ主人公やその周りでは無いのか?単純に疑問です。安室さん、さすがに出番が多すぎませんかね。組織のスパイである以上出る必要があるとはいえ、組織映画だった20作目と昨年にも出てましたし。

○○である以上特定キャラの出番がある、××が関わるから特定キャラの出番も必然的な流れで「用意されている」。書き方が悪いですが、しかし率直な意見でもあります。特に一番最後に流れる自作予告は19作目までは内容に関係する画のみが映し出されていましたが、20作目からはキャラクターの声が入るようになりました。はっきり言って特定キャラの押し売りです。

キャラクターやキャラの関係性が描かれるのは好きです。というか個人的にそういうのは大好物です。でもなんかそれを前面に押し出し過ぎて文字通り消費していると感じざるを得ないんですよ。近年は特に。安室さん出すぎと書きましたが嫌いじゃないし、キッドや他の人物に対しても同様です。でも繰り返し見に来る人ってそのフィーチャリングされたキャラのファンですよね。その人たちの為に映画作ってるんですか?ウン十億の興行になるのは話の面白さよりも推し目当てのファンによるものって事ですか........とぼやきたくなります。

それにキャラの押し売りはストーリーにも影響を与えています。

2)キャラクターのインフレで元からいたキャラクターが空気のような扱いに

特定キャラを出すという事はスポットを当てるという事、つまりスクリーンに映る時間がそれなりにある事になります。もしコナンが天涯孤独の身で友達もないキャラで、かつ1話完結型(人間関係が次回に引き継がれない)ならそれを逆手にとっていろんな人物との組み合わせが出来そうですが、そんな都合のいい物語や主人公は当たり前ですがないでしょう。物語は「主要な登場人物」がいるからです。新一、蘭、目暮、博士、小五郎、第一巻でも主要人物がこんなにいます。園子、灰原、少年探偵団、高木刑事たちも主要級の人物でしょう。

劇場版はこれらの主要人物と「映画の主要人物」=特定キャラを組み込む事になります。ですが110分(OPとED~エピローグを考慮すれば実質105分を切ってる)でこれを描くのは難題です。現状は映画の主要人物の出番が多い状態になっていますがこれは脚本の課題というより、連載が長期になるにつれキャラクターがインフレしているコナン自体の課題です。

では空気のような扱いとは何か。簡単に言えば元からいる主要人物に割り当てられた尺が少ないか、そのキャラの見せ場がない事です。例えば組織が関わる時。黒の組織はコナンにとってラスボス同然の立ち位置にあり、簡単には倒せません。そのため色々と「高いレベル」が登場人物へ必然的に要求されます。推理面だと目暮や小五郎がいらない子、悪く書けば足手まといになり、作中屈指の戦闘力を持つはずの蘭も勝つことは出来ない。では推理面で目暮達を上回る存在はだれか?捜査面では誰か?戦闘力では誰か?=コナンが頼りに出来る存在は誰か?答えは公安とFBI、になります。超人の見せ場が自ずと増えてしまう訳です。

眠りの小五郎になり、コナンが蝶ネクタイ変声機を使って推理を披露したのもここ数年では昨年くらいではないでしょうか(その昨年がまさに組織映画でしたが、各人物への尺の割り当てや見せ場の作り方は上手い方だと思います)。では眠らなかった時はどうしてた?容疑者扱いされて警察のお世話になったり、コナンたちのやった事で保護者として謝り倒していたり、ケガしてフェードアウト、と探偵としてはそんなに物語に絡んでない.......というかそもそも眠る必要がなかったのは、小五郎らを上回り、かつコナンに協力的な人物の平次、安室、キッド、世良らがいたからです。

そして所属組織や推理力や戦闘力で、蘭や小五郎を越えるウルトラ級のこの人たちがコナンと物語を進めるという事は、犯人もウルトラ級になります。25作目の犯人はもう反則レベルで強い。キャラの数のみならず「性能」もインフレを起こしています。こんな相手とやり合うのに少年探偵団や蘭がいたら物語を進める上で足かせになる時がある訳です。

その25作目は久々に少年探偵団の見せ場があって個人的に好きなんですが、結局ここでも特定の何かをフィーチャリングしている事に変わりはなく「あのキャラ立てばこのキャラ立たず」といった状況になっています。正確には「あのキャラ立てて、このキャラそこそこ立てて、そのキャラは立てれず」だと思いますが。ですので100分で初めから最後までを描く脚本家や監督は、この面に関しては頑張っている方ではないでしょうか。

10作目はオールスター出演みたいな内容でたくさんの人物が出てきましたが、今後は10作目のような映画は作れないでしょう。人物と人物の持つ性質や役割が比べ物にならないくらいに増えすぎたからです。

3)壮大なスケールやストーリー、人物の関係性が織り成す「劇場版マジック」が歪みを作り「厄介なファン」を産む
今年は「キッドにフィルムを盗まれた」という体で試写会がありませんでした。あくまでも体で、本当の理由はファンによるネタバレ防止です。昨年の試写会で映画の中身に納得できなかった一部のファンが暴走し、ネタバレと共に制作陣を誹謗するコメントを映画の公式アカウントの返信欄に書き込んだり、場所は違っても似たような言葉がインターネット上に書き込まれました。残念ながら今も続いていて、先日地上波で前作が初放送された際にも監督のもとへ沢山の誹謗中傷のコメントが送られています。

誹謗中傷の理由を意訳すれば「蘭を出し抜いてコナンとキスした灰原の映画作った人だから」というもの。まぁはっきり言ってバカ丸出しの厄介ヲタクだ~そんなこと監督に言ってもどうしようもないでしょ、と思いますが、でも同時に心無いコメントを書き込むのも理解できてしまいます。

21作目、23作目、今作はラブコメですが、ラブコメの対象は新一と蘭ではない。劇場版での主人公の新一とその彼女である蘭のラブコメが少ないんです、主人公なのに。あと、ウルトラ級な人物が活躍したら否が応でも「かっこいい」と思わざるを得ないでしょう。というか実際にかっこいいんです。カッコよく見せようとしているのでカッコよくて当たり前なんです。ストーリーも壮大だし。

周りは劇場版という華々しい舞台で見せ場があるのに、いくら新一の姿になるのが簡単ではないとは言えさすがに可哀そうかもな、と思います。「劇場版という華々しい舞台」、、、コナンは少年サンデーに連載されている原作漫画が大元。新一と蘭が付き合う事になったのも原作。ある意味原作は創造神と言えますが、映画のリピーターが単行本を買ったりしてコナンそのものを熱心に追っかけているとは思えません。サザエさん時空で話が進まないからです。推しキャラが絡まないと読まない人もいるはず。サンデーを毎回買って読む人なんかもっと少ないでしょう。

みんなの最も注目がいく媒体は原作でもなく、テレビアニメでもなく、劇場版。沢山の予算がかけられた劇場版です。お金がかかっていれば見栄えだって良くなりますよ。良くなって当たり前ですよ。名実ともに劇場版は創造神である原作を差し置いて「華々しい舞台」になっているんです。なってしまったんです。そしてファンは思うんです。「華々しい舞台、スクリーンで生き生きした(見せ場が割り当てられた)我が推しの姿を見てみたい」と。

新一と蘭のファンなんかそりゃもう何年も前から待ち望んでいるでしょう。しかし他に枠をどんどん取られるし、既に原作でもテレビアニメでもキスしているのに、いざスクリーンで人工呼吸とはいえ他キャラにキスされると、まぁ........言いたいことは分かりますよね?

一旦新一達のラブコメを横において、今作のキッドに目を向けましょう。キッドはコナンのキャラクターではなく「まじっく快斗」の主人公、黒羽快斗。いわばお客さん、スターシステムで登場しているキャラクターです。コナン世界の為に生み出されたキャラクターではないのですが、そのようなキャラクターをコナンに出すと歪みが生じ始めます。

今作でいえば「快斗の父親、盗一は生きており新一の父との双子の兄弟で、新一と快斗は従兄弟だった」という設定です。以前から意図して快斗と新一の顔を寄せていると言われていましたが、正直これはキッドがコナンに登場する前から考えられていたのでしょうか?そうだとしてもキッドって中森警部を2発被弾させるような奴でしたっけ。というか泥棒が親族ってどういう事だよ。どうやって落とし前つけるんだ?

......と、このように劇場版で伏線回収するどころか新たな疑問が出来上がり、物語は進まず拡張するばかりです。劇場版の中で収まる話だとしても、キャラクターの押し売りで~というのはもうさっきから何回も書いているのでやめます。

長々と書きましたがこれをお気持ち表明をとらえるか、的外れな意見ととらえるか。この状態が続けばコナンそのものに対して見切りをつける人が出てきてもおかしくないでしょう。自分はもうその手前まで来ているような気がします。勝手に見切りをつけるだけならまだマシで、試写会を中止にした人達みたいに暴走するファンが出てきたらもう最悪です。タイトルの「限界が迫っている」状況が私の的外れなお気持ち表明で終わってくれたら非常に良いのですが。

「100万ドルの五稜星(みちしるべ)」あらすじ、感想、配信について

2024年4月12日(金)の公開から22日間で観客動員数732万人、興行収入105億円を突破した劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』。前作の劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』に続いて、シリーズアニメ2作連続100億円を突破するという邦画史上“初”の記録も打ち立てています。