ASIAN KUNG-FU GENERATIONの人気歌詞ランキング
あ、そうですよね。単にそのアニメが好きなだけかもしれませんよね(´・ω・`)
歌詞に、「後悔してんだって言い逃したあの日」とか「君じゃないとさ」っていう歌詞があるんです…
先述の通り8話のライブ時に披露した3曲目の楽曲、という設定の上、前曲であるところの"あのバンド"からの繋がりを加味してベースが同じチューニングで録音されたこの楽曲は、フレーズやパターンも同曲や"青春コンプレックス"から引っ張ってきている (特にサビの構成が分かりやすいだろうか)。前曲が終わりすぐ始まるかのようなカウントのイントロからダークトーンで突き上がっていく感覚のあるロック。テクニカルで技巧派なアレンジが散りばめられたアプローチが結束バンドたらしめているポイントとも言えるだろう。
爽やかなコーラスが光り、""ライクなドラムとギターのアプローチのイントロ、更には弦の高音部とによるアレンジとこれまでに無かった/主調ではなかった要素を中心軸に置いた楽曲。鮮やかに進んでいく中それでも最後に"青春コンプレックス"のイントロギターフレーズを持ってくるアウトロで締め上げる。歌詞に合わせるように濃淡のある歌声を披露する育美さんだが、突筆すべきはCメロ部のボーカリゼーション。喉の強さを感じる発声で今回の音源のレコーディングが逆に大変だったというエピソードが飛び出すほど。
そして、この君とは歌詞の世界に留まらず、聴いているあなたにも伝えるわけだ。
ココでは、アナタのお気に入りの歌詞のフレーズを募集しています。
下記の投稿フォームに必要事項を記入の上、アナタの「熱い想い」を添えてドシドシ送って下さい。
2004年10月にリリースされた「ソルファ」に収録されていたASIAN KUNG-FU GENERATIONのナンバー「Re:Re:」。
アジカンといえば、ソルファくらいまでは音を重視して歌詞を書いていた印象があるが、「ブラックアウト」辺りから歌詞にメッセージ性を宿すようになった印象。
コーラスは全部自分で歌った。ケンスイではありません。コーラスパートの歌詞は
秘密。
************************************************************************:
ASIAN KUNG-FU GENERATIONはソラニンなど失恋ソングと思ったら、もっと違う意味があったという曲もあります。 ..
偶然とはいえ自分を見つけてくれた嬉しさ、バンドをやれた喜び、まるで自分自身じゃないような出来事が自分に降り掛かってきて、戸惑いもありながらも素直に受け入れるぼっち。バンドで演奏出来たことの嬉しさを"光の中へ"では語っていたが、演奏だけではなく自分と共に過ごしてくれる3人が居るというこれまで感じることが出来なかった様々な事象を体感出来ていることを封じ込めた歌詞。ホントにバンドと友達が出来て良かったね…。
そんなバンド活動に於いての良い部分じゃないところもその喜びには勝らないかのように、ポジティブに受け止められているというところによりぼっちの心境の変化を感じさせる。燻ってた分その振り幅で調子が上がってるんだろうな (調子に乗っている、とも言えるが)、叶わなかったことが叶うことはやっぱり嬉しいもの。もし自分が今後立ち止まってしまっても、3人と一緒に居るのならば大丈夫という信頼の念も感じられる。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Re:Re:』(Short Ver.)
ぼっちのこれまでとこれからの相反する自分自身と互いを見合わせ、向き合い、そしてその自分を受け入れていくという歌詞。内気ながらなんとか世界の繋がりを保とうとした過去、そしてそんな狭い世界に居座っていた自分からの脱却を図りバンドを組んで現実と向き合う今。本当のお前は何処にいる?という自分に、あなたも私も同じ人なんだよと諭す。結局は自分の人生で自分が行動した結果なんだと理解する。
ASIAN KUNG-FU GENERATION リライト 歌詞
歌詞の続きをみてみると、ダラダラと日々を過ごしている閉塞的な日常を端的な言葉で綴っているフレーズが散見される。
歌詞でやっている。(「君繋ファイブエム」の「E」にはLIVE FOREVERの ..
ぼっちの学校に於ける拠り所の無さ、自分自身である""との対話(別々に制作されたとは言え偶然とは思えない歌詞)、書き溜めた詞達のクサい感覚、このまま過ぎ去っていくと思った日の中で結束バンドという拠り所を見つけることが出来た。これは"青い春と西の空"、"星座になれたら"に於いても描かれていた部分だが、それでもいつかはこの瞬間が終わってしまうかもしれない、それでもまだ今はこのままバンドが続いていてほしいという願いのもの。前曲のカラーリングに続き歌詞の中にメンバーの名前を入れ込んでしまうという偏愛っぷりを感じさせてしまうその描写も、ぼっちらしいといえばらしいだろうか。ただBメロの言葉詰め込み部分はぼっちの癖というよりさんらしさが現れている。
オープニングテーマ「Re:Re:」ASIAN KUNG-FU GENERATION
アジカンのRe:Reって曲知ってる方いますか?
あれって失恋の曲ですよね…
元彼とLINEでこないだ重い話してから、ずっと向こうそれをLINEの音楽にしてて…
振られたのは私のほうなんですが…向こう後悔してくれてるとかあると思いますか?(。•́•̀。)
【SEO担当者向け】 ASIAN KUNG-FU GENERATION 『リライト ..
今回も後藤ひとり歌唱のカバーが収録。作品の命題のような""を経て2曲目のカバーとなる。ぼっちが、が歌うということに個人としては意味合いを見出してしまうのでもう言うことはないのだが、どうしようもなさやるせなさを抱えながらただただ待ち侘びていた、でもずっとそのままではいられずに飛び出していくというその詞は、後藤ひとり自身のストーリーともリンクするものであり、結局のところこちらも重要な楽曲として作用してしまうのだろう。
発声は出来ているのだが、時折歯切れの悪い感じが若干あるのがまだ自信の無さが出てしまってる感じがして、どれだけ解像度高いんだと思ってしまう。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『リライト』(M-1 ..
それから、この曲には同じタイトルで同じシーンを別の視点かた歌ったものがあるので、次回はそちらを解説します。
ちなみに、シングル「サイレン」のカップリングです。
アジカンの歌詞の意味を教えてください。 ASIAN KUNG-FU GENERATIONは.
歌詞「だけ」を抜き出して注目されることには、ちょっとした違和感もあるけれど、「何のこといってるんだろう」という場所が入口になっている曲が多いので、僕の歌詞は。それが良いか悪いかっていう反省はいつもしますけれど、どうしても、聴き手にも一歩だけこちらに寄って欲しい。そうすると意味やイメージが広がるように書いているというか、俺はそういう書き方が好きなんです。傲慢なのかもしれないけれど。逆に、演奏者や作者の力だけで成り立つポップミュージックってないように思うんです。いつでも、聴き手/リスナーが発見と解釈をするからこそ、良い音楽は残ってきたのだと思うんですね。ビートルズは凄いけれど、それを「良い!」と言って見つけてきたひとも凄いですよ。一方で、やっぱり脳に直接電線を突っ込んで記号としての良さというか、化学物質というか、「分かりやすくて良かったです」が感想の一行目にくるというか、そういう消費型の社会の中に俺らはいるわけで、そういう単純な回路を拒みたい、というような気持ちも、歌詞の難解さにつながっているとは思いますけれど。言った側から分かられたら怖いというか。分からなそうだから、皮肉めいたこと歌いたくなっているわけで。笑。なんか倒錯してる部分もありますね、俺。LOVEとHATEがこんがらがってます、率直に。
意味で裏切られた。 かっこいいRe:Re:がいい音で聴けるので、あの頃のアジカン好きな人は買って損なし。..
アレンジとしては再録版であるところの2016年バージョン及び長年続けてきたライブアレンジをモチーフとした長尺のもの。イントロの靄がかったような部分から段々と広がりを見せ遂にはあのフレーズが響いてくる。基調は楽曲に沿ったものだがフレーズの重ね合わせ、余韻のようなリ、カッチリとしたギターでオリジナルとの差異を生む。
細かいところだがギターの位相が反転していて、リードとリズムが原曲 (再録版)とは逆側から聴こえてくるのも面白い。是非とも聴き比べをしてほしい部分だ。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 「Re:Re:」
過去楽曲と同じフレーズ、作中登場時のBGMの一節の引用等もあり、文字通りその"やり直し"の楽曲群のアレンジングが目立つ。タイアップであるところのリサイクルをテーマとしたものともある意味親和性が高い。(僕と三原色の)歌詞においても"再生"や"ループ"というようなフレーズが散りばめられている。楽曲の解体、再構築と共にバンド自身の再解釈といったところだろうか。これまで見ていたものは彼女たちの一部分でしかなく、それだけで判断するにはまだ早計なのだろう。
そんな意味としても、リスペクトを持ったバンドの1つとして、それでも対比を感じれるくらいとの乖離が"光の中へ"のシングル以上に出てきたということが大きな要素となったミニアルバム。カバーはさておき。総集編の為のトラックとしてならとても高濃度の作品だとは思う。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「Re:Re:」 をレコチョクでダウンロード。(iPhone/Androidアプリ対応)
謎にタイアップが付いているというのもよく思えない部分。どうやらこの一件が決まったことで"僕と三原色"の爽やかさをマシマシで行きましょうとなったようだが、ぼっちや山田がそれを良しとしてるのか?という部分に疑問が残る。そもそもキラキラや爽やかさというものにコンプレックスを感じていたはずのぼっちがこのを良いものと飲み込んでいるのかという点が分からない(お金の為だから…と山田に押し込められたのか…?)。と思っていたけど、"こんな僕は僕じゃない、こんなの全然聞いてない、でもなんか嫌いじゃない"と結局歌詞の上で納得してるのだろうか...。
現実世界の結束バンドと、アニメ/原作における結束バンドとの乖離があり過ぎてすぐには受け入れることが難しく思える。それと高校生バンドの音源であるという設定はどうしたんだ…。あくまで1個人の意見だが。