しかし「コブラ会」は、単なるオールドファンに向けただけの作品ではなく、むしろ過去の映画シリーズの価値すら昇華させるような1作となっている。


それから8年後、第一作から34年後の2018年、ベスト・キッドシリーズの権利を所有するソニー・ピクチャーズは第一作の続編となる本ドラマシリーズ『コブラ会』を製作し、YouTubeの有料プランでの配信を開始しました。


『ベスト・キッド』へのリスペクトに溢れた『コブラ会』の最たる魅力はと言えば、その熱量です。いつの時代だって、負け犬たちが強くなっていく姿には元気をもらえます。しかも、今回は先生の物語も熱い!ドラマの尺があるからこそ、個々の登場人物の物語が掘り下げられ、より皆を応援したくなります。もちろん空手シーンだって見応え十分。

以前だったら、映画を観ててもそんなことは気にしていなかったのですが、私も『ブックスマート』という映画を観て考えを改めました。嫌な奴に見えても、その人にだって物語があるはずなのです。特に、高校生ともあれば、何かしら悩みもあるはずです。『コブラ会』では、『ベスト・キッド』の”悪役”であり、後に”敗者”となった者の視点がメインにあるのが、新しくて面白い!

面白い!人間関係のすれ違いが多すぎるけど昔のベストキッドファンとしては胸熱

興味深いのは、もう一人の主人公であるジョニー・ロレンスの物語です。彼は、『ベスト・キッド』でダニエル・ラルーソーをイジメる嫌な奴で、いわば”悪役”でした。『コブラ会』が面白いのが、このジョニー視点でも物語が展開していくところです。

(2018年 アメリカ)
の後日談が面白いのかという半信半疑の気持ちで見たのですが、あまりの面白さにぶったまげました。負け犬が立ち上がるという王道の物語が中心にあって、そこに34年前の映画との濃厚な関係性があって、全体がユーモアでコーティングされている。コアなファンも一見さんも納得させられる素晴らしく面白いドラマとして仕上がっています。

本シーズンのクライマックス、34年前にジョニーが敗退しコブラ会が追放の憂き目にあった空手大会に新生コブラ会が舞い戻り、「コブラ会!コブラ会!」という声援を受ける場面では興奮が最高潮に達しました。

『コブラ会』のメインストーリーは、映画版とそれほど変わらず、ベタとも言えます。学校で”イケてない”男子のミゲルは、イジメてきた男子を見返してやろうとジョニーに空手を教わります。ミゲルは、稽古を重ねるうちにどんどん強くなり、彼女も出来ます。ミゲルのストーリーはそんな感じで、それほど目新しいものではないかもしれません。


ベスト・キッドから30年、Netflixドラマ「コブラ会」が熱い!

しかし、『コブラ会』に関しては全くそんな心配はいりません。『ベスト・キッド』で感じた興奮が、さらにパワーアップして帰ってきました。『ベスト・キッド』を観て誰もが感じたであろう「自分も空手をやってみたい!」という気持ちを、『コブラ会』でも感じることが出来ます。

「30年後のドラマシリーズ「コブラ会」へ‼️」ベスト・キッド3 最後の挑戦 活動写真愛好家さんの映画レビュー(感想・評価).

『コブラ会』には、ダニエル役のラルフ・マッチオとジョニー役のウィリアム・ザブカなどが、映画と同じ役で出演しています。宮城道雄を演じたパット・モリタは残念ながら2005年に亡くなってしまったのですが、過去の映像の中で登場しています。

宣伝です。 Netflixにて『コブラ会』シーズン6の配信が始まりました! めっちゃ面白いので是非是非ご覧ください。

とまあ、こんな感じです。ストーリーはそれほど複雑ではありません。むしろ、ミヤギ先生の独特な訓練の方が面白いと言っても良いと思うのですが、気になる方はぜひ映画をご覧ください。

コブラ会のようなドラマや映画: ベスト・キッド (1984), ベスト ..

懐かしさから
Netflixで再度観た
ベストキッド1、2、3、

その勢いにまかせ
コブラ会に突入しました。
冷やかしだったのに

続編と言っても過言ではない
キャストと
熱くて笑えるストーリー!…

スタイル: 面白い, ライト, 面白い, 魅惑的な, 甘い ..

全編通して懐かしキャラの適材適所がすごい!その後の人生が描かれてるのも好印象!

今までのコブラ会の中でも特にいざこざがスムーズに収まってくのも良い!

悪役がしっかり悪役してるから見てて気持ち良い…

的な新キャラも続々登場ッッッ‼️✨ レギュラーメンバーの人間模様も最ッッ高に面白いッッ‼️ ネトフリ加入者は皆 見るべし‼️です‼️

ドラマ『コブラ会』は、1984年の映画『ベスト・キッド』(ジャッキー・チェンの方ではない)の34年後を描く後日譚です。映画版を観ていることを前提にしてはいますが、映画の方のストーリーは単純なので、ここでネタバレありで説明してしまいます。

人気945位! コブラ会の評価と感想 | Netflixオリジナルドラマ

記録。

卵を守れっ!
のとこ好きだった😊

大人も子供達も頑張って成長してる様がなんか胸熱。
ついつい、イッキにシーズン5まで見てしまいました。

面白かった☺️


次のシーズン6でラストシーズ…

コブラ会』をシーズン2まで観終わったのですが、あまりにも僕の心に刺さりまくったドラマだったので、今回はコブラ会 ..

1984年の名作映画「ベスト・キッド」の正統な続編となるドラマ。
大人になった当時の役者と、映画の名シーンを交えつつ40年後の彼らを描く。
こーれはめちゃくちゃ面白い!!!!
映画では悪役でダニエル…

巷で話題の『コブラ会』、ようやく観始めた。らあまりの面白さにシーズン1あっと言う間に完走。 映画『ベスト・キッド』のその後(30年後!)

『コブラ会』シーズン1~2は、Netflix及びYouTube Premiumで視聴可能。YouTubeでは、Premium会員でなくても、無料でシーズン1の第1話と第2話、シーズン2の第1話を観ることができます。

“ベスト・キッド”の30年後を描くドラマ『コブラ会』は懐かしすぎる!

それだけではありません。『コブラ会』には、『ベスト・キッド』オマージュが満載です。コブラ会の教えである「Strike Fast. Strike Hard. No Mercy.」の再考や、ミヤギの教えを受け継ぐラルーソーの存在など、端々から映画版に対するリスペクトが伺えます。映画版の「正統な続編」に相応しく、設定だけでなく、になっています。

アメリカン・ドラマ 第71回 “COBRA KAI”(『コブラ会』)

シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。

ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。

シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。

「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。

というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。

「コブラ会」は名作「ベストキッド」の34年後を描く必見ドラマ!

それから30数年が経った。Netflixのドラマシリーズ「コブラ会」は「ベスト・キッド」の公式な続編だ。