K on X: アジカンの後藤が左翼思想なのはまあ…って感じなんだけど
起こりましたね。そして同じものが日本中にありますね。使用済み燃料棒も原子炉の中に入っていれば、プールに入れておくよりは多少マシだろうけど、使い終わったら出さなきゃいけないわけでしょ。なら、もうなるべく原発を新設するのを止めて欲しい。僕が期待しているのは、どうにか原子力を使わないエネルギーに移行していけないかということ。仮に原子力を使い続けるならば、大量に出てくるプルトニウムとかを何らかの方法で無毒化するとか、放射能をなくすとか、分裂させるとか、そういうことを行えないと、この問題は未来永劫続きますよね。あと、人間が起こすヒューマン・エラーも怖いですよね。ああいう事故が起こって、責任が誰にあるのかがわからなくて、どうしようもなくなって、それを整理しないままもう一度使うっていうのは、筋道として危ない。
というか、やっぱり生活ってものに根ざして考えるのであれば、グリッド自体を狭めた方がいいんじゃないか、という話ですね。例えば大分でとれた海産物を東京で食おうとしたら、そりゃ色んなエネルギーを使うでしょってこと。地産地消って理にかなっていると思うんです。その考えが大きく広がっていけば、東京で使う電気を青森や福島から持ってくるってどういうことなのか、どれだけムダなのか、意識しやすくなるだろうし。これらは知識人たちからの伝聞でしかないので、僕はドンと「これが正しい」とは言えないんですけど。産業って本当に大きいから、ミュージシャンの知識で産業が使っているエネルギーまでをどうまかなっていくかを考えるのは難しい。でも、ミュージシャンであると同時に僕らも一人の生活者ですから、望んで選んで進んでいくのが正しい道筋ですよね。ただ、今一番問題なのは自分達でエネルギーを選べないことですね。異常ですよ、選べないっていうのは。
とにかく、放射性廃棄物の問題が気になっています。たった一カ所、フィンランドにオンカロという核の処理場があるけど、それもまだ動き出している訳じゃない。「INTO ETERNITY : 地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」(監督 : マイケル・マドセン)という映画にも出てくるんですけど、核廃棄物が無害になるには10万年かかる。10万年もあれば、その間に誰かが核廃棄物を解決する技術を開発するだろうっていう楽観的な思想に基づいて動いているんですよ。いろんな人の話によると、人類が言葉を発明して5千年強だと言われていて、5千年経ってもまだ正しく扱いきれていないじゃないですか。例えば、ラテン語を自由に扱える日本人がどれだけいるんだって話。現在の英語のような共通言語であったラテン語も、今では一般人には理解できないわけです。となると、もう、想像が及ばないですよね。想像もできない10万年後のことを前提にして物事が進められているんです。コストの面でも換算されていないんだから、これからどこかの世代が割を食う確率が高い。まあ、単純に言えば年金みたいなことをやってしまっているんですよね。もっとスケールがでかくて、もっと未来のことを考えていない、今生きている人たちだけの分配しか考えられていないやり方。これを続けていくと、とんでもないことが起きるんじゃないかって思います。
アジカン後藤正文さん、ソロ新作は故坂本龍一さんへの「近況報告」
何となくのテーマは僕が持っていきますけど、まあみんな考えてることはそんなに違わないので。でも「やりたいことがあったら言ってくださいね」とは伝えています。一号に掲載された岩手のページはスタッフの意向で作られたものですしね。その辺の感覚はバンドをやっている感じと近いです。コンポーザーとして最終的なミックスを見るというか。
Twitterで人を集めましたね。「俺、新聞作ろうかなー」ってつぶやいたら、わーっと反応が来て、取材で知り合った編集者の方が来てくれたり、会ったことのないイラストレーターの方もレスをくれて、作品を見せて頂いて良かったから声をかけていくとか。デザインはアジカンを一緒にやり始めて、途中で抜けてデザインの道に行った大学時代の友達にお願いして、第一号の表紙のイラストはにお願いして。
だったら「日本から一気になくなった炭鉱の街のことはどう思ってるの?」「それを復活させることについてはどう考えるの?」「夕張市が破綻したことについてどう思うの?」と訊いてみたい。でも… エネルギーの産業って実は今考えているようなことが繰り返されてきて、トレンドが変わる度に人の考え方やライフ・スタイルごと変えなきゃいけなかったんじゃないかと思うんですよ。そういえばこの間、恵比寿の写真美術館にフェリーチェ・ベアトが撮影した江戸時代の写真を見に行ったんです。そこで思ったことなんですけど、江戸の町は発展していたけど、田舎の方の日本人は西洋の人から見れば未開の部族みたいだったろうなって(笑)。でも、そういう時代があったということをもう一度振り返って直視した方がいい気がする。1860年代頃からものすごい勢いでここまで来て、便利なことが当たり前みたいな顔をして生活していますけど、日本人は長らく未開の部族みたいな生活してきたんだよって。
さっきの吟遊詩人の話とも繋がるんですけど、僕には「越境せよ」というテーマがあるんです。音楽に関しても、ジャンルを渡り歩いていかないと蛸壷になってしまうという危機感があるんですよ。アジカンは日本語でがっちりやっているから邦楽ロックってことになりますよね。お客さんもみんな邦楽ロック好きばかりが集まっちゃって、閉じてくるんです。そうなると面白くない。世の中は常に整理されようとしているから、そこに抗っていかないといろんなものが閉じていくように感じるんですよ。アジカンとしては、「NANO-MUGEN FES.」で抗って、細分化を拒んでいます。何においてもそうなんだけど、ヒップ・ホップやロックンロールやジャズが生まれた時って、何かを越境して文化が衝突した時ですよね。僕たちがやっている事はもっと狭いことかもしれないけど、それでもジャンルを越境していく意識がないと、音楽が死んでいってしまう。「FUTURE TIMES」においてもその意識はありますね。
ワイ「アジカンの曲良いよな」敵「でもボーカルの思想が…」←これ
震災が起こる少し前、音楽史の本をよく読んでいたんです。僕たちは西洋から文化を輸入してロックをやっているわけだけど、日本語を使って邦楽としてやる上で、これからどう活動していくのが自分たちの文化を作ることなのか、アイデンティティーを保つことなのか、そういうことを考えていて。そして本を読み進める中でポップ・ミュージックの成り立ちに行き着いて。ポップ・ミュージックの初期のひとつの形って中世の荘園を転々とバイオリンを弾いて回っていた吟遊詩人なんですよね。彼らは「どこの荘園ではこんな事件があった」「あの辺では戦の準備が始まっている」「どこそこでは何が流行っている」とかを歌い語りながら、ニュース・ペーパー的な役割も果たしていた。ポップ・ミュージックにはそういう機能があったんです。じゃあ、これを模倣してみよう。ポップ・ミュージシャンが時を経て、同じ役割を担おうとするのも面白いんじゃないかと思って。
『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』第九回 : 後藤正文 インタビュー
【AERA2024年12月16日増大号(12月9日発売)】YouTubeなどのプラットフォーム上で、2Dや3Dのアバターを使って動画を配信する「VTuber」。2016年の誕生以来、右肩上がりで拡大し、2023年度は国内市場規模800億円にまで成長。いまやエンタメ界をリードする存在になりつつあります。グローバルな展開も加速するVTuberの最前線をお届けします!
2月11日(月)~2月17日(日)の間にエントリーされた邦楽ブログの中より、アーティストオフショットを掲載しているブログをご紹介致します。
とても大事な視点だと思います。「アメリカン・ユートピア」に関しては、デヴィッド・バーンが何も損なわず、言いたいことを明確に言っているように感じたし、すごくカッコいい大人だと思ったんですよね。音楽もすごくいいんですけれど、「よかった」では終わらない何かがあるし、映画を観た人にいろいろな気持ちを持ち帰らせる作品だなと。エンディングでデヴィッド・バーンが自転車に乗って劇場を出るんですけど、そこにもメッセージが感じられて。ただ、音源(アルバム「アメリカン・ユートピア」)の段階では「女性アーティストとのコラボレーションがまったくない」という批判もあったんです。映画が公開されたときも「アジア系のミュージシャンが参加していないのはなぜか」という意見があったし、社会的な課題はどんなところにも存在しているんですよね。それを受けて、また新しい作品につながるんじゃないかなと。
5年前まではヘビースモーカーでしたが、現在は全く吸いません。 ..
2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきた。
アジカン後藤「安倍がー憲法がー」
エネルギーの話じゃなくてもいい、未来に繋がれば。でも、今やっていることは未来に繋がると思います。世の中は個人の集積でしかないので、一人一人の意識が高まらない限りは何も変わらないと思うんです。個々の意識を少しずつ変えていくことが、今、僕たちにでき得ること。原発をなくすというところまでは直接的に担えないと思えます。だから、「花や実の部分までは手が届かないから、まずは土をやろう」みたいなイメージ。それをじっくり続けていくこと。10年続けたら何か変わるかもしれない。アジカンの「NANO-MUGEN FES.」も含めて、この抗い方には実感があるんです。僕らがフェスをやることで、アジカンの周辺には洋楽も邦楽も好きな人は増えてきましたからね。
【音楽】アジカン後藤正文「何度も炎上して燃えかすに」それでも社会の問題について発信・活動を続ける意味 [湛然☆] · コメントを投稿する · 垢版 |
「でもそんなとこまで繋がってるっていうの、いいよね。最初は動き始めた人たち、みんな個々だったの。俺も変なプライドあって、俺は俺で動く、俺たちは南からやるし、SLANG KOは北からやれよ、みたいな気持ちもあって。だけど続けていくなかで、物資が余ったらどうしよう、じゃあKOのところに送ればいい、KOのとこで足りないものは俺も集めるっていう感じに変わってきて。そのほうが気持ちが良かったし、自分も無駄にならない。支援ってさ、トップバッターで現場にいく人だけが支援じゃなくて、そのバトンを繋ぐ人もすごく大事。要は間接支援もそうだし、何もできないって言う人だってツイッター上で応援してくれるだけでも最初はいいと思う」
アジカン後藤、追悼コメント出さない批判に反論
「そうやって素直に喜ぶべきところを喜んでいけば、本来助けることにおいて混乱なんかしないと思う。もし物資を持ってって違う顔されたら、あ、違ったんだなって思って引っ込めてさ、また違うところに持っていけばいい。余った物資は別のところに回すとか、それだけの話だから。それは相手の顔見ればわかるんだよね。相手の顔も見ずに、自分がどうすべきかってウダウダ言うばっかりで、誰に? っていう話を初めの段階でしなかった。だから俺、けっこう早い段階から"被災地行ったほうがいいよ?"って言ってたんだけど、みんな自粛だ不謹慎だってムードで、"行くなんてどうかと思います"とか意見も言われたの。でも行って実際に聞いてきちゃえば早いのよ。何が必要ですかって注文聞いてきちゃえばいい」
”アジカン”の後藤正文さんが、ミュージシャンなどを支援 ..
「それって実際に被災地を見てきた人の強みですよね。最初は僕もオロオロしながら曲作って、呼びかけないと、お金を集めないとって思ってたけど。でもお金って分散された時の弱さがありますよね。何億の義援金が数千円になるみたいな。だったら1500円のパジャマを送って、それを毎晩着られることのほうが重要じゃないかって。だから冷静になった今は、物資を送ることが一番なんだろうなって思う。結局自分のやれることやろうとして、田舎からお米もらってきたりとか。でも、そうやって体使ってやったことってデカいんすよ。原発も行かずにネットで調べてるのは簡単だけど、実際行ってみたらすげぇ場所にあるんですよね。なんでこんなところにこんなもん作っちゃったんだろう? とか。それは体動かさないとわかんない」
ロックバンド“アジカン”後藤正文さん 高校生に演奏指導
10~20代は自分とバンドが一体で「これしかない」みたいな気持ちだったんだけど、歳をとってくると、徐々にセパレートしていきますよね。色々と自分で考えを進めていくうちに、ひとりの表現者として色んなところで面白いことをやりたいと思うようになった。もちろんバンドは好きでやっていることではあるんだけど、アジカンだけをやらなきゃいけないなんて誰にも決められたくない。
アジカン、中高のときハマってめっちゃ好きだし、大学入ったらライブ行く!って思ってたけど後藤さんの近年の反安倍、反政府発言、左翼思想がムリすぎて残念。
「論争すると本質がどんどんズレちゃうよね。助けたいんだったら、そのゴールをあっち側に、要は自分ではない違う意識を持った人たちのもとに置くべきなのに、結局は自分の意識ばっかりが強い。って、俺みたいに自分ばっかりの人間が言うのもどうかと思いますけれど、俺が言うくらいだから日本も末期状態なんだと思うよ」